気分変調症と私と死にたい私

皆様は気分変調症という精神疾患をご存じだろうか。

 

鬱の一種で、簡単に言えば鬱程症状は重くないが、慢性的に抑うつやイライラ、焦燥感、意欲や集中力の低下が起こる疾患だ。

 

これは「性格の問題」と長らく誤解されるくらい長期に続く。

し、私などは「あなたのは多分一生治らない」など主治医に言われる始末だ。

 

「あなたは家庭環境に問題があった」と主治医は指摘するが、それに加え、小学校に入る以前から高校を卒業するまで、私の人生には虐めと嫌がらせがあった。

極めつけは、高校卒業後に入社した職場でだった。

 

そこは病院に付属した介護課で、配属された場所で「よろしくお願いいたします」と頭を下げた直後行われたのは、誰が私の面倒を見るかの押し付け合いだった。

結局、そのなかで一番勤務経験が浅いと思われる先輩が【私】を担当することになり、私の一番最初の業務は「私の面倒を見るのがいかに嫌か」といった内容の話を聞くことだった。

 

更に決定的だったのは、その先輩が【志望したにも関わらず不合格だった高校】に私が通っていた事実が判明したことだった。

なにか発言するたびに「頭いい人がいうことわかんなーい」と取り合ってもらえないことが増え、もちろん業務にも滞りが出来てきた。

そのたびに他の先輩から叱責され、時には狭い個室に連れ込まれ叱られた、どんどん、どんどん際限なく私は嫌われていった。

 

介護作業を行うにあたり、暴れて介護士に暴力をふるう利用者さんには二人体制であたり、片方が手などを抑えている間にもう一方がおむつ交換を行うやり方を取っていた。

その日も、そうして作業に当たるはずだった。

そのはずだったのに。

先輩はただ見ているだけだった。

私は暴れる利用者に殴られながら、一人でおむつ替えを行っていた。

ただでさえ慣れていない作業をボコボコ殴られながら、たどたどしく行う様はおかしかったのだろう。

先輩は笑っていた。

 

「いまこの利用者を殺したら、すべてから解放されるだろうか?」

 

それは素晴らしい閃きのように思えた。たったそれだけで何もかも終わる。明日から何か行動する度に部署内すべてのひとに囲まれ叱責される不安もなくなる。もう殴られなくなる。もう馬鹿にされることもなくなる。

相手は介護を要するほどの老人なのだ。簡単な事だ。

 

 

恐ろしい考えだった。本気の殺意というのあのように冷ややかな熱さを持った思考をいうのだろうか。

「人の役に立てる仕事がしたい」「ひとにやさしく接することが出来る仕事」そんな風に思って、介護業を志望したのに。

何とかおむつ交換を形だけ行って、自分の殺意を思い返したとき、今すぐやめなければいけないと思った。

いつか僅かに残った理性が潰える前に。

 

結局仕事をやめ、そのフロアを出るまで方々に嫌味という嫌味を言われたが、私の部署の人間は一様にうれしそうだった。

 

それから鬱という診断が気分変調症に代わるまでの記憶は曖昧だ。

何度か自殺を試みたり、社会に復帰しなければとアルバイトをしては発作により退職したりと、世界に対して不義理を行ったことだけは覚えている。

病名が鬱を抜けて気分変調症に変わった今でも、全く動けない日も、焦燥感や不安感で死にたくなる日もある。

結局私はこれからも「死にたい私」と付き合っていくしかないのだろう。

 

 

正直当初書こうと思っていたこととまたずれた。

軌道修正も難しい。

でも修正する気が起きないのは、これが今まで親にすら語れなかった私の秘密だからだ。

ずっと誰かに聞いてほしかった、知ってほしかったことだからだ。

私の人生における最大の失敗で、最大の恥。

 

 

もしもここまで読んでくれた誰かがいるのなら、感謝しかない。それは私がずっと欲しかった聞いてくれる人に他ならない。

本当にありがとう。