読書したら久しぶりに死にたくなった話
死にたくなった。久しぶりに。
このブログの更新が途絶えていた。それは鬱がひどくなり七転八倒し、それでもなんとか立て直し、ぐずぐずになりながらも生きながらえてるうちに症状が快方に向かい、なんとか毎日へらへら笑える日々を過ごしている間に、このブログを立ち上げたことを忘却の彼方へ押しやったからである。
というわけで症状が重いときはまるで出来ない読書を、にへらへらと楽しんでいたのである。
読んでいた本は凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」であった。
私は凪良ゆうさんの本が好きである。ミーハーと言われようとも「流浪の月」は最高だった。
なんたって彼女の紡ぐ物語は美しい。それに現実に存在する問題とうまくストーリーを絡めることで、実際にこの世の何処かでそんな人生があったんじゃないかと思わせるぐらいの没入感がある。
だけど、だからこそ時々、本当に鋭く、”こちら“の心をも抉ってくるということを、私は忘れていた。
此処から先は作中のネタバレを大いに含んだりするので、誰も来ない辺境のブログとは言え、注意喚起をしておこう。
私が死にたくなったのはメイン人物の青埜櫂に深刻な胃がんが発覚し、ビジネスパートナーであり、心に傷を負い引きこもりになった久住尚人と井上暁海の成功を祝うシーンだ。
二人は仕事も失い、プライベートも深刻ではっきり言って病んでいる状態であった。
そこで描かれた描写はすべて、私のメンタルが最下層まで堕ちていたときに見た景色であった。
二人はお酒をこれでもかと飲み、馬鹿騒ぎをし、もはや叶わぬ夢の続きを語りだす。
「最高で最低の気持ちのままで終われたら幸せだ」
それは私が自殺を考えたときに思ったことだ。
「それで死んでももうええわ。俺は、今、最高やねや」
それは泣きながら大量の錠剤を胃に流し込み続けながら思ったことだった。
あの頃見ていた景色がそこにあった。苦しくて辛くてどうしようもなかったけど、一生懸命に生きてた自分がそこに見えた。見えてしまったから。
痛くて辛くて泣くしか出来なかったひどい日常だったけど、私の中で一番愛おしい記憶。
それを【思い出】にしてしまった、今のつまらない、生きる理由もないくせに、それに悩むこともなくなった。平凡でくだらない自分に成り上がっていた。
それに気づくと同時に激しい虚無が湧き出てきた。だけど私は平凡になった自分を捨てられない。もうあの頃のように刹那に生きられない。
この絶望があなたには理解できるだろうか。
もしも戻れたら、もう一度刹那に生きて刹那に死にたい。